ドガと写真
ドガは日本では印象主義の画家として紹介されることが多いが、彼の絵も生き方も印象主義とはまったく関係がない。千変万化する自然の光よりもナイトクラブの人工照明を好んでいたし、絵画を学びたいなら「自然に倣うより美術館の絵画を研究せよ」と語っている。
踊り子の絵を多く残しているが、ドガの時代の踊り子は金持ちのパトロンと出逢うための職業と見做され、金持ちたちも愛人候補を見つけるために劇場に足を運んでいた。
ドガが愛したのはそういう都市生活であり、娼館やカフェや競馬場だった。
そして、彼の愛したもののひとつに写真がある。
写真術が広まり始めた頃、誰よりも打撃を被ったのは肖像を専門とする画家たちだった。もはや食っていけぬと絶望し、自殺した者もいたというが、多くの画家たちがこのライバルに脅え、あるいは写真を参考にしながら絵を描いていることを隠したりする中で、ドガだけはこの新しい技術をこよなく愛し、当時はまだ高価だったであろう写真機を購入して自ら撮影を愉しんだ。
スナップ写真とは、狭義では「被写体に気づかれずに撮影された写真」のことだが、ドガの絵の多くがスナップ的であり、シリーズ『湯浴みする女』を見た批評家からは「ピーピング・トム(覗き屋)だ」と評された。
あくびをする女、憔悴した娼婦、綿花取引所の男たちなど、それらはドガ自身が撮影した写真を下敷きに描かれた作品だが、彼は誰よりも早く「スナップ写真」の価値に気づき、「スナップ絵画」を描いた画家だったと言える。
スナップの価値──日常の瞬間を切り抜くことにかけては写真は絵画より優れていることをドガは何度も口にしている。
彼は映画技術にも興味を抱いたようで、走る馬の映像から、歴史上の絵画における走る馬の脚運びが間違いだったことにも気づいた。
レオナルド・ダ・ヴィンチが渦を巻く水流の素描を残しているが、彼がドガの時代に生まれていたらドガと同様、この記録デバイスに夢中になっていただろう。
世界にたいする関心の向け方において、ドガとレオナルドは似たようなものを持っている。それは工学的関心とでも言えるものであり、当時の印象主義者への揶揄の意味合いもあったと思われるが、ドガはこんなふうに断言している。
「芸術とは人工を意味する」と。