森の中のデカルト

森に迷った旅人は、右往左往すべきではなく、まして一か所にとどまっていてもいけない。同じ方向に向かって努めてまっすぐに歩み続け、最初に方向を決めたのが単なる偶然だったとしても、頑として方向を変えないことだ。なぜなら、そうすることで希望の場所に辿り着くことはないにしても、いずれどこか、森のど真ん中よりはましなところに出られるだろうから。

デカルト『方法序説』第三部/第二準則

 引き続き方向音痴の話である。
 上記引用はデカルトの有名な行動規範──通称「森の中のデカルト」と呼ばれる第二準則だが、デカルト先生に物申すのは大それたことと知りつつも、この比喩は残念ながらあまり上手くない。はっきりと下手くそと言っていいくらいだ。
 樹木という障害物が密集して生え茂っている場所を、まっすぐに歩み続けること自体、まず不可能だ。邪魔な木を避けて進んでいるうちに少しずつ進路が曲がり、気がつくと、巨大な円を描いて元の位置に戻ってしまっていた、ということは大いに起こりえる。

フロイデンシュタット近郊の森
フロイデンシュタット近郊の森

 障害物のない地帯、砂漠とか荒野とかを選べばよかったのに、森を選んでしまったのは、デカルト先生が欧州人だったからだろう。身近にある「迷いの場所」が「森」だった。事実、フランス東部からドイツ南西部にかけて拡がる森林地帯はかなり大きい。南米のアマゾンにはかなわないまでも、シュバルツバルトの大森林は、街の高台から眺めると、地平までつづく濃緑色の雲海である。
 現在よりも都市や村の数が少なかったデカルトの時代であれば、森を縫う道の数も限られていたはずで、ひとたび迷い込めば、猛獣や盗賊もいただろうし、富士の樹海が可愛く見えるくらい生還率が低かったのではなかろうか(写真はシュバルツバルトの森。フロイデンシュタットからバーデンバーデンへ向かう途中、車から降りて少しピクニックした。公道傍なので樹々は比較的まばら)

 そんな次第でデカルト先生には申し訳ないが、森の比喩のくだりは、砂漠や荒野に脳内変換して読むことにしている。体験的にも砂漠や荒野で迷子になったことならあるが、森はない。虫が嫌いなのでそもそも森の奥へ入ろうなんて思わない。

 比喩の巧拙はともかく「森の中のデカルト」から人生論を語る人は多い。それも、この部分のみ切り取って「一所懸命」や「初志貫徹」の大切さを説くというパターンがほとんどだ。そういう人たちはおそらく『序説』全文を読んでいないのだと思う。森の比喩が語られる第三部の冒頭で、デカルトはこんなことを語っている

(本宅をリフォームしている間)不自由なく暮らすためには別の家を手配しなくてはならない。同じように、理性から考えて判断を停止すべき状態でも、優柔不断にならずにすむように、さらには可能なかぎりの幸福な暮らしを諦めずにすむように、私は一時的なモラルの準則を作っておいた。

 何が真であり偽であるか。それが見分けられない状態のまま、私たちは日々を迎え、道を選び、いつも何かを決定している。真実を知らずして正しい判断ができるのか。まさに「理性から考えて判断を停止すべき状態」でありながら、しかし実人生はちっとも待っていてくれない。片付けるべき事柄や決定すべき問題は常に刻々と現前に迫り、生の時間の流れは止められない。
 だから私たちは、正しい判断ができない状態で、とりあえず比較的正しそうな判断にすがるしかないのだが、そのための「一時的なモラルの準則」のひとつが「森の中のデカルト」の比喩なのである。デカルト先生は、真の家ではない、仮の住処ではあるけども、それなりに快適に不自由なく暮らしたいなら、これらの準則を守るといいと語っているわけで、「一所懸命」や「初志貫徹」とはまるで無縁な、むしろ「とりあえずの思想」と呼んでもいいくらいだ。

 もしも森で道に迷ったら、とりあえず進むべき方向を決めよ。その方向が皮肉にも森から抜け出す最長コースだったとしても、良き選択か悪しき選択かの問題ではない。何よりもまず決断することが重要なのだ、とデカルト先生は語る。
 デカルトと他の哲学者との決定的な違いは、彼は同時に武人だった点だ。二十二歳のときにオランダを訪ね、ナッサウ伯のマウリッツ軍に入隊し、その翌年、フランクフルトへ旅立つと、マクシミリアン一世の軍隊に加わって三十年戦争に首を突っ込む。剣術に長けていたらしく、女をめぐって決闘し、相手を打ち負かした直後、相手を許してやるとともに、その女への執心も捨てた、という逸話もある。

「森の中のデカルト」の比喩は、あるいは戦場での彼自身の経験だったのかも知れない。妙手であろうと悪手であろうと、即座の、とっさの、とりあえずの判断に生死をかけてきた人間の言葉として読まなければ『序説』の奥に隠れているデカルトの姿は見えてこないようだ。