途方に暮れる

La Bouquinerie a Paris

 自他共に認める方向音痴である。高い確率で間違った方向を選ぶ。帰宅するつもりが、五年暮らした家の前を素通りしたこともある。

 遠い昔、初めてパリを訪ねたとき、到着が夜だったので初日は疲れもあってホテルで早めに就寝したが、翌日さっそく街へ繰り出てあちこち歩き回ってから、目に付いたカフェで休憩した。テラスに座り、行き交う人々を眺めたり、エスプレッソの美味しさに感動したりして、さてホテルに戻ろうと立ち上がりかけたところで、致命的な問題に気づいた。
 帰り道が分からない。ホテルの名前も覚えていない。当時はフランス語がほとんど話せなかったが、話せたとしても「私はどこに帰れば良いのでしょう?」と尋ねたら、別な意味で可哀想な人と思われるだろう。

 目指すべき宿舎は、当時学生だった私にはかなり贅沢な星付きホテルだった。そこで二泊したのち、叔父の友人である画家のFさんの訪問を待って、長期滞在者向けの安い宿を紹介してもらうことになっていた。
 ホテルを選び、予約の国際電話を入れたのは自分である。ホテルの名前や所在地は手帖に記してあり、その手帖のおかげで空港から乗車したタクシーに行き先を告げることもできた。しかし残念なことにその頼りの手帖はホテルの部屋に置いたままだ。
 文字の発明によって我々の記憶力は衰え、多くの忘却をもたらすだろう──みたいな内容の問答をプラトンの『パイドロス』か何かで読んだことがあるが、文字を発明した神さまってテウトだったっけ? などと考えて、すぐに、いまはそんなことに脳のリソースを割いている場合じゃないと思い直す。帰還の道順は分からなくても、せめてホテルの名前くらいは思い出したい。エスプレッソをおかわりし、半時間あまり、頼りない記憶力をふりしぼってみた。

 幸いだったのは、季節が五月の半ばだったことだ。夏至を数週間後に控え、五月のパリは午後九時を過ぎても昼間のように明るい。途方に暮れてはいたものの、日が暮れてうら寂しい気持ちになるのはまだ先だ。もしも季節が冬だったら、午後四時過ぎには夕暮れが迫り、寒いし暗いし帰るところは分からないしで、パトラッシュと出会わなかった世界線のネルロのような気分に襲われただろう。座して思い悩んでいても始まらない。さらなる迷子の深みに陥る可能性大ではあるが、ホテルを探索する時間は充分にある。
 パリ到着二日目にして日本大使館に泣き込むのは嫌なので、我が宿舎を必ず見つける決意をしてカフェを出たその瞬間、通りの並びの建物から出てきたムッシューが私に気づくと馴れ馴れしい笑顔で挨拶を寄越した。見覚えのある顔だった。我が宿舎のフロントの係員である。探し出すべきホテルは、私が人知れず途方に暮れていたカフェの二軒隣にあった。